f=ma

2024-03-04 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 24 日>(赤口 丁卯 一白水星)下弦 Adrian Adriana    第 10 週 第 27418 日

 

高校時代の理科の時間には f=mαと習ったが、近頃の本にはf=maと書かれてある。これ以上シンプルな式があるかなと思ふほどシンプルな式だ。当時、理科の先生からは「物理学はどの様に力が作用するかについて記述するのであって、なぜその様な力が作用するかについては説明しないものだ」と教はった。僕はそのままそんな風に受け止めてゐたが、後年になって、どうもそれは違ふのではないかと思ふ様になった。fは力、mは質量、aは加速度であるので、この式を言葉で言へば「力とは質量に加速度をかけたものである」と直訳できる。でもこれでは何だかわからないので「もし加速度を感じることがあったらそれは力が作用してゐるからである」と読んだ方が良い。あるいは「加速度の原因を力といふ」とも表現できる。りんごは木の枝を離れれば地面に向かって加速度を感じて落ちる。力が作用してゐると言っても同じことだ。この式は力とは何かを説明してゐる。もしfがゼロだったらどうなるか。それは加速度のない世界である。といふことは等速直線運動する系である。静止してゐる物体は静止し続け、運動してゐる物体は等速直線運動を続けるといふ、あの慣性の法則を説明してゐるとも解釈できる。ただ、ここで気になるのは、速度や加速度が時間の関数であることだ。「時間とは何か」が初めからわかったものとして話が進められてゐる。もし時間がなければ力も作用しないのか。ここまで来ると、僕はいつも歩みが止まる。時の流れとは何だらうかと。テレサテンみたいに簡単に身を任せて良いものなのだらうか。

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