コペルニクスの地動説

月 旧暦 3月28日 赤口 辛巳 三碧木星 Vega V17 24912 日目

従来正しいと思ってゐたことが、新しい知見によれば不完全もしくは誤りであったと分かることはよくあると思ふ。コペルニクスの地動説はその最たるものであった。コペルニクスの没年は 1543 年。その後、ガリレオは 1610 年に望遠鏡を使って木星の衛星を発見したが、この頃まではまだ、教会の権威は天動説が正しいとしてゐた。コペルニクスの地動説の提唱から既に 70 年以上経ってゐるのに、である。地動説を信じたガリレオは有名な宗教裁判にかけられる。ガリレオが没した年にニュートンが生まれて近代科学はそれ以降長足の進歩を遂げた。僕らは小学校の時から、地球は太陽の周りを回ってゐると習ふから、それはもうあまりに自明で驚くことを知らない。だが、その知見は日本にどの様にして入って来たかなと思ふ。江戸時代の寺子屋では論語十八史略やそろばんを習ったかもしれないが、理科は教はらなかったのではないかと思ふ。江戸時代も中期以降になれば一部の人たちの間には西洋の学問が広められたかもしれないが、一般の人たちに「地球は回ってゐる」と知らされることはなかったのではないかと思ふ。その分、人々の、お天道様への信仰は純粋であったかもしれない。犬や猫や他の動物たちと同じ様に、人間にとっても、朝になれば東から日が昇り、夕になれば西に日が沈む、そのことの繰り返しだけで十分であったかもしれない。僕らが歴史上の人物を見る時、学校で習った近代科学の常識を持ったままで眺めると何かがすれ違ってしまふ気もする。もしも、地動説を知る日本人が当時居たとして、それを唱へた場合、ガリレオと違って日本では、白州で裁きにかけられることはおきなかったのではないかなとも思ふ。幕府の権威は科学の知識にまで及んでゐなかったからである。その体質は、やがて 20 世紀になって日本が敗戦することとどこかで繋がってゐたかもしれない。僕らが今日、学校で習ったから正しいと思ってゐることも、明日は修正を受けねばならないかもしれない。僕はただ、休みなく回る地球に驚きと畏れとを忘れない人間でゐたいと思ふばかりである。