共謀罪

火 旧暦 3月29日 先勝 壬午 四緑木星 Markus V17 24913 日目

先の大戦の後、日本には恒久平和主義を謳ふ新しい憲法ができ、国民は誰もが皆、かつての戦争を反省した。戦後の半世紀でこれだけ深く民主主義がこの国に定着したのであるから、よもや、日本が戦前の様な野蛮で暴力性のある社会に戻ることは決してあるまいと、僕はずっと思ってゐた。でも、その見方は甘すぎるかもしれないとこの頃思ふ。新聞記事などで社会の動きを見てゐると、戦前の日本人と今の日本人と何も変はってゐないのではないかと思はれることもある。その一例が「共謀罪」の成立を巡る動きである。僕も自分の住む社会はテロのない社会であってほしいのだが、必要以上に監視される社会は行き過ぎであると思ふ。昨今の共謀罪の成立をめぐっての動きは、戦前の治安維持法などによる監視社会とどこも違はないのではないかと思ふ。「自分は何も悪いことをしてないのだから、監視されても一向に構はない」と多くの人々が単純に思ひこめば社会は危険な状況に向かふのではないかと思ふ。テロの多発する現代を生きる私たちは「テロに屈しないぞ」と叫ぶ前に、どの様な環境の中からテロリストが育つのか、その社会に潜む根源的な原因を探ることの方が大事だと思ふ。世界中で今日生まれた赤ちゃんが成人した時、彼らがテロリストにならないために、僕たちには何ができるだらうか。