プライバシー

2021-06-10 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 5 月 1 日> (大安 己丑 二黒土星新月  Svante Boris    第 23 週 第 26416 日

 

プライバシーの何が大事なのかと思ふことがある。昔に比べれば、今はプライバシーの保護が随分やかましく言はれるようになった。でもそれで社会が住みやすくなったかと云へば、むしろ逆である。学校で机を並べた友人たちの名簿や住所録までがキッチリ秘密扱ひにされる社会が果たして良いのかどうか。昔は名簿とはアナログなものであった。それで、その扱ひにさほど慎重になる必要もなかった。デジタル社会になって、第三者でもスッと情報を入手できる状況が出来上がった。それで、プライバシーの保護をやかましく言はなければならない状況に追ひ込まれたのだと思ふ。でも、プライバシーが漏れると、何がどんな風に困るのか、僕にはピンとこないこともある。防犯カメラに残された画像から、あの人がいつあそこに居たと分かったとしても、果たして何が困るのだろう。「見てござる」といふ童謡があるが、カメラやデジタルの力を借りなくても、昔から人の言動は天網に監視されてゐたのだ。天は見てゐる。見てゐないようでゐて、やっぱり天は見てゐる。人の良心の礎にはいつもそのような自覚がなければならないと思ふ。プライバシーを笠に着て、匿名で言ひたい放題を無責任に言って人を傷つける今の社会が、健全なる発言の自由の賜であるとは思はない。今の人間が直面する困難は、自分のプライバシーを誰かに見られてしまふことへの恐れよりも、自分を曝け出したとしても誰も注目してくれないひとりぼっちになることへの恐れの方が大きいのではないだろうか。

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今日は新月。日食があったかもしれない。