仰げば尊し

水 旧暦 1 月 20 日 友引 戊戌 五黄土星 Camilla V10 25229 日目

卒業式のシーズンが近づいた。僕らの子供の頃の卒業式に比べ、現代の卒業式はどんな風かなと思ふ。先生やクラスの仲間たちと同じ時を過ごしたことへの熱い思ひ出が昔は強かったが、今はそれが薄らいでゐはしまひかと漠然と想像する。先生といふ仕事は昔もいまも大変であらうが、生徒たちとの時間の共有の思ひ出があればその苦労も半減できるのでないかと思ふ。その意味では現代の先生はより大変かもしれない。卒業式といへば、「仰げば尊し」を思ひ浮かべる。歌詞の一番を卒業生が、二番を在校生が、三番を全員が斉唱したのを覚えてゐる。子供の時は歌詞の意味をしっかりと理解せぬまま歌った。高校1年の古文の時間に係り結びの法則を習った時、電気が走った様にハッと気がついて、「今こそ別れめ」は、「今別れむ」が元の形と知った。その時は、それまで漠然とした疑問だった言葉の意味がはっきりわかって、すごく嬉しかったのを覚えてゐる。その喜びよりもさらに感動が大きかったのは、「む」が意志の助動詞であったことだ。自分はどんな生活態度であっても、時が来て、3月が来れば、皆、卒業していくものだ。卒業は、いはば、向かうからひとりでにやってくるものと子供の頃は思ってゐた。だが、その別れを自分の意志において選び取るんだといふ歌の意味を知った時、ジーンと来るものがあった。後年になって、人との出会ひや別れを数多く体験したが、どんなに辛い別れも、自分の意志において選び取るといふ覚悟を心の何処かに持てば、人は強くなれるかしれないと思ふことがある。それを僕に教へた出発点は「仰げば尊し」だったのである。