平家物語 巻第五 「福原院宣 3」

2024-01-18 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 12 月 8 日>(先勝 辛巳 九紫火星)上弦 Hilda Hildur    第 3 週 第 27372 日

 

文覚は奈古屋に帰ると、弟子たちに「私はこれから人に知られないように、伊豆の雄山(熱海市伊豆山神社)で七日の間参籠するつもりだ。」と言ひおいて、出発した。そして実際三日目に福原の新都に着いた。前右兵衛督光能卿(藤原忠成の子)に少しのつてがあったので、その人のところへ行って、「伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝は、もし勅勘を許されて、せめて院宣さへ出していただけるなら、八カ国の家人どもを催し集めて、平家を滅ぼし、天下を鎮めようと申してをります。」とささやいた。兵衛督は「さあ、どうだらう。私も現在は参議・右兵衛督・皇太后宮権大夫の三つの役目を全部取り上げられてしまったから心苦しいところではあるよ。法皇も鳥羽離宮へおしこめられておいでだったから、どんな風にお思ひであるかな。いづれにしても伺ふだけは伺ってみようか」と言ふことになって、密かに法皇様にお伺ひを立てた。すると法皇はすぐに院宣を下さることになった。文覚はこれを首にかけ、また三日のうちに伊豆国へ下りついた。兵衛佐は「ああ、あの無位無冠の汚らしい坊主がつまらぬことを言ひだしたばかりに、私もつい乗ってしまった。これで私もまた新たに辛い目にあふことになるやもしれんな。」と考へつく可能性のあることをすべて考へて心配してゐると、八日目のお昼頃に文覚がくだり着いて、「それ、院宣ですぞ」と奉った。兵衛佐は院宣と聞くかたじけなさに、手や顔をあらひ、うがひして、新しい烏帽子をかぶり、神事のための白い狩衣を着て、院宣を三度拝して受け取り、おもむろに開いた。

Nyköping Vallarna から見る夕景。