平家物語 巻第五 「文覚被流 2」

2023-12-19 (火)(令和5年癸卯)<旧暦 11 月 7 日>(大安 辛亥 四緑木星) Isak    第 51 週 第 27342 日

 

信濃国の住人・安藤武者右宗といふものがゐて、その頃は院の警護の職につくものであったが、「何事ぞ」と言って、太刀を抜いて走り出た。文覚は「望むところだ」と構へたが、右宗は相手を斬ってしまってはまずいと思ったのだらうか、太刀を持ち直して、刃のない方で、文覚の刀を持つかいなを強く打った。打たれた文覚はチッとひるんだ。そこで右宗も太刀を捨てて、「得たりをう」と叫んでガップリ組んだ。組まれながら文覚は安藤武者の右のかいなをついた。突かれながらも締め上げる。互いに劣らぬ大ぢからの二人であるので、上になり下になり、転びあふ。そこへ上下のものが恐る恐る寄って来て、文覚が動くところを片端から殴った。けれども文覚は懲りずにいよいよ悪口放言する。庁のしもべに引っ張られて、立ちながら御所の方を睨んで、大音声をあげる。「奉加をなさらないのはまづ良いとしても、これほど文覚に酷い目を合はせられては、思ひ知らされる事になるであらう。三界(欲界・色界・無色界)はすべて火と燃える家の様なものだ。王宮といへどもその難を逃れるものではない。たとい十善を行った功徳によって帝位に付けられたものであっても、黄泉の旅に出た後には牛頭(ごづ)・馬頭(めづ)の責めを受けることは免れぬものを」と躍り上がり躍り上がり言ふのであった。「この法師奇怪なり」と、すぐに牢屋に入れられた。資行判官は烏帽子を打ち落とされた恥づかしさにしばらく出仕しなかった。安藤武者は文覚と組んだご褒美として、武者どころの首席の地位を飛び越えて、一気に右馬允に昇進した。さうかうするうちに、その頃、美福門院がお亡くなりになって(美福門院は鳥羽天皇のお后で近衛天皇の母。その崩御は1160年で、この物語から20年近く前のこと。平家物語の作為であると注記にあり)、大赦があった。文覚もまもなく許されることになった。普通なら許されたらしばらくはおとなしくしてゐるべきであるのに、さはなくして、すぐまた勧進帳を引っ提げて勧めて回るのだった。それもまともな勧進ではなく、「あゝ、この世の中は今乱れ、君も臣も皆滅びうせるであらうものを」など、穏やかでないことばかり言ひふらして歩くので「この法師、都に置いてかなうまじ、遠流せよ」といふことになって、伊豆国へ流された。

冬至へあと3日の夕景。