平家物語 巻第五 「文覚荒行 1」

2023-11-18 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 10 月 6 日>(先負 庚辰 八白土星) Lillemor Moa   第 46 週 第 27311 日

 

そもそも頼朝は、去る平治元年12月(1159年)、父左馬頭義朝の謀反によって、年14歳になった永暦元年3月20日(1160年)に伊豆国蛭ケ島へ流されたのだった。それ以来20余年の春秋を送り迎へた。そのままずっと静かに生きる選択肢もあったはずなのに、今になってどうして謀反の心を起こしたかといふと、高雄の文覚上人が勧めたからであるといふことだ。その文覚と申すものは、もとは渡邊遠藤左近将監茂遠の子、遠藤武者盛遠といって、上西門院(鳥羽天皇の皇女)に仕へる侍であった。19歳の時に道心を起こして出家し、修行に出ようとした。「修行とはどれほど大変なことであらうか、まづは試してみよう」と言って、6月の太陽がカンカンに照りつけ、草も揺るがないほどの暑さの中で、片山の藪の中に入り、仰向けに伏した。アブは来る、蚊も来る、蜂も来る、蟻も来る、これらの毒虫どもが身体にビシッと取り付いて、刺したり食ったりしたけれども、少しも身を動かさなかった。そのまま7日までは起き上がらず、8日目になって起き上がった。「修行といふのはこれほどに大変なものでせうか」と人に問ふと、「そりゃ君、やり過ぎといふものだよ。そんなことしてたら命も助からないだらうよ」といふので、「それなら修行とはやさしいことよ」と言って修行に出たのだった。

気温は氷点下1℃。空気はヒヤリと冷たい。