平家物語 巻第五 「勧進帳 2」

2023-12-12 (火)(令和5年癸卯)<旧暦 10 月 30 日>(先負 甲辰 二黒土星) Alexander Alexis    第 50 週 第 27335 日

 

文覚が書き上げた勧進帳とは次の様なものである。

 

沙弥文覚敬って申し上げます。ことに貴賤と僧俗の援助を受けて、高雄山の霊地に一院を建立し、現世と来世の安楽の大利のために仏堂修行せんと乞ふ勧進の帳。

 

一切緒法の本性は広大です。衆生・仏と仮の名で区別しますが本当は差別などありません。真如は平等無差別のものです。それを妄念の雲が厚く覆って十二因縁の差別の峰をさまよはせるのです。本来誰もが所有してゐるはずの、蓮のように清らかな仏性がかすかになり、未だ、三徳も四曼も揃った万法の相状を尽くした様子が大空に現れません。悲しいことにお釈迦様は早く没して、生死流転のちまたは暗く、ただ人は色にふけり、酒にふけるばかりです。まるで狂った象、跳ねる猿にも似た迷妄を誰が払ひ落とすことができるでせうか。いたづらに他人をそしり、法を悪く言ふばかりです。どうして閻羅獄卒の責めを免れるでせう。ここに文覚はたまたま俗塵を打ち払って法衣を身につけてはをりますが、悪行はなを心にあって日夜に至ってをります。善い結果を得るための善い行ひは耳に逆らって、朝も夜もなくすたってしまひます。いたましきかな、再度三途の火坑にかへって、長く四生苦輪にめぐらんことを。このゆへに釈迦牟尼の経文は千万の巻々に成仏の因を明らかにし、方便や真実の教へは、ひとつとして悟りの彼岸に達しないものはありません。かるがゆへに、文覚は世が無常であるといふ悟りに感激して涙を落とし、上下の人々に勧めて、最上級の極楽に往生していただくために等妙覚王の霊場を立てやうとするものです。そもそも高雄は山うづ高くして鷲峰山の梢を表すやうであります。谷は静かで商山洞の苔をしいたやうであります。巌泉はむせんで布を引き、嶺猿は叫んで枝に遊びます。人里からは遠く離れ、騒がしいけがれがありません。周囲や地形がすぐれてゐて信仰に適してゐます。金品の寄進は少しです。誰がその援助を添へずにをくものでせうか。ほのかに聞くところによれば、小児が砂を集めて仏塔を作る功徳でも成仏の因縁が結ばれると言ひます。ましてや一紙半銭の宝財ならいふまでもありません。願はくは建立成就して、皇居と御治世とが安全でありますやうに。八千年をもって一春とする大椿の葉が再び改まるほどの長い太平がありますやうに。死者の霊魂は、死の前後、身分の上下を問はず、速やかに真の浄土に至り、必ず三身万徳の功徳が集まることを願ふものです。よって勧進修行の趣、けだしもってかくの如し。

治承三年三月の日                 文覚

 

と読み上げたのであった。

(日付にある治承三年は1179年で、以仁王はまだ挙兵してゐない。この年11月に清盛が後白河法皇を鳥羽離宮に幽閉した。6月には後白河法皇は重病の平重盛を見舞はれてゐる。重盛は7月に死去。文覚が勧進帳を持参して院御所・法住寺殿を尋ねた日付が3月であるなら、その時、平重盛はまだ存命であった。)

買ひ物が少ない日は歩いてスーパーに行く。