平家物語 巻第五 「福原院宣 4」

2024-01-19 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 12 月 9 日>(友引 壬午 一白水星) Henrik Henry    第 3 週 第 27373 日

 

頼朝が院宣を開いてみると、そこには次のやうに書かれてあった。

 

近年、平氏は皇室をあなどり、自ら政道をとって恐れ慎むところもない。仏法は破滅し、朝廷の権威を滅ぼさうとしてゐる。我が朝はそもそも神国である。祖先を祀った神殿が並んで、神徳は新たである。そのゆへに神武天皇の即位から今まで、数千年の間、帝道を傾けようとするもの、国家を危うくさせるものなどは、みな必ず敗北した。さうであるから、一方では神の助けに任せ、また一方では勅宣の趣旨を守って、早く平氏の一類を誅して、朝家の怨敵を退けなさい。源氏代々の武略を継ぎ、その先祖の奉公の忠勤をぬきんで、身をたて、家をおこしなさい。しかれば、院宣はかくの如しである。よってお上の意をこの様に取り次ぎます。

治承四年七月十四日    前右兵衛督光能が承り

謹上前右兵衛佐殿へ

 

頼朝はこの院宣を錦の袋に入れて、石橋山の合戦の時も、首にかけて戦はれたといふことである。

今朝は氷点下14℃まで下がった。