平家物語 巻第五 「早馬 1」

2023-10-09 (月)(令和5年癸卯)<旧暦 8 月 25 日>(友引 庚子 三碧木星)スポーツの日 Ingrid Inger    第 41 週 第 27271 日

 

治承4年(1180年)9月2日になると、相模国の住人大庭三郎景親から早馬で清盛の元に知らせがあった。「去る8月17日に、伊豆国の流人前右兵衛の佐頼朝が、政子の父である北条四郎時政をつかはして、伊豆の目代、和泉の判官兼隆を山木の館(伊豆の国市)で夜討ちにしました。その後、土肥・土屋・岡崎などから三百餘騎が集まって、石橋山に立て籠りました。景親は味方一千騎を引き連れて石橋山を攻めました。(地図で見ると小田原から海沿ひに南へ行ったところに「石橋山古戦場」がある)。兵衛の佐頼朝は劣勢となり、七、八騎になって、髪の髻もほどけ大わらはになって、土肥の杉山へ逃げ込みました(伊豆半島の西側)。その後、平氏の味方の畠山次郎重忠は五百餘騎で出陣しましたが、三浦大介義明の子らは源氏の味方をして三百餘騎で由比ヶ浜、小坪海岸で戦ひました。この戦ひでは畠山は負けて武蔵国へ引き上げました。それから畠山一族は巻き返しをはかり、河越太郎重頼、稲毛三郎重成、小山田別当有重、江戸太郎重成、葛西三郎清長らの一族が集まって、三千餘騎になって三浦衣笠の城(横須賀市)を攻めました。ここで大介義明は討ち取られました。その子らは久里浜の浦から船に乗って逃げ、安房・上総の方へ渡って行きました。」と報告した。

散歩せず。二日前の写真