平家物語 巻第五 「福原院宣 2」

2024-01-17 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 12 月 7 日>(赤口 庚辰 八白土星) Anton Tony    第 3 週 第 27371 日

 

「何かね、それは」と兵衛佐。「これこそあなた様の父、故左馬頭殿の頭です。平治の乱の後、獄舎の前の苔の下に埋もれて、後世弔ふ人もなかったのですが、文覚に思ふところあって、獄守にお願ひして預かり、この十余年首にかけ、山々寺々を拝み回って弔ってきました。今は長い間の責苦から少しは浮かばれたことでせう。文覚は亡くなった義朝公に対してもずいぶん奉公してきたのです。」兵衛佐はそのしゃれこうべが本当に義朝のものだとは思はなかったけれども、父の頭であると聞くなつかしさに、まづ涙を流した。そしてそれからは打ち解けてあれこれ話をした。「そもそも頼朝は勅勘を許していただかなければ、どうして謀反など起こすことができようか」と兵衛佐が言ふと、「そんなこと簡単です。すぐにも都に上ってお許しをいただいてまいりませう。」「何を言ふか。御房も勅勘の身であるのに、そんなものがそんなお願ひをしても危なっかしいことだ。」「私が自分の勅勘を許してくださいと云ひ出すのなら間違ってもをりませうが、あなた様のお許しを申し上げる分にはなんの差し支へがありませうや。今の都・福原の新都へ上るのに、三日とはかからないでせう。院宣のお伺ひをたてるのに一日は逗留せねばなりますまい。それで都合七日か八日あればお許しをいただいて戻って来れると思ひます。」と言ってついと出て行った。

昨日の夕月。