終末論

2023-12-06 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 10 月 24 日>(先負 戊戌 八白土星) Nikolaus Niklas    第 49 週 第 27329 日

 

ユダヤ教キリスト教には「終末論」といふ考へ方がある。この世はいつか終はると考へられてゐる。先は暗いのだなと思ってしまひがちだが、人類の復活に希望をつなぐ考へでもあるかしれない。仏教にも「末世」といふ考へ方があり、釈迦入滅後、仏法が衰へ、修行も廃れた末の世が来るといふ。理由もなく人に刃物で斬りかかる変な事件が頻繁に起きる現代の日本は確かに「末世」かもしれない。「方丈記」の時代も「末世」と呼ばれた。それから800年以上も「末世」が続いてゐる。こんなに長く「末世」が続くと、この先ももう少し大丈夫ぢゃないかと人は思ってしまふのかもしれない。一般に楽天家は「明日はきっと良いことがある」と思ふものだ。究極の楽天家になれば、今はのきはにも「丸い地球の水平線に何かがきっと待ってゐる」と信じながら息を引き取るのかもしれない。その瞬間は終はりの様に見えて終はりではないのだ。この際、来世の幸せのために現世は不幸でもかまはないといふ思考に陥らない様に気をつけねばならない。COP28では冷房機器の温室効果ガス排出削減の誓約も発表された。努力はとても大事だし、個人のレベルで協力できることであれば何でもやりますと思ふけれども、一方で人間はどんなに努力しても、猛烈な暑さの夏を鎮めることはできないだらうとも思ふ。今の時代、絶望の中でも一筋の光を見出すことのできる人間になることが、どんなハイテクのリスキリングより大事なのではあるまいか。

白い雪は朝の光を浴びるといっそう美しい。