何のためにはたらくか(続き)

日 旧暦 8月26 日 先負 乙亥 四緑木星 Hedvig Hillevi V41 25086 日目

口に出して言はないまでも「お前たちは誰のおかげで食べさせてもらへると思ってゐるのだ」といふ考へ方をする人は今でも多いと思ふ。その様な考へ方はブラック企業の経営方針と親和性が高い気がする。が、ブラック企業ほど労働環境が劣悪でない普通の会社でも、多かれ少なかれ、その様な考へを持つのは自然なことかもしれない。企業の存在目的は、結局のところ、利潤の追求にあるからだ。しかし、その様な考へ方は次第に社会の隅に押しやられるのではないかといふ気もする。実際に、もっと違った、高い理念を持つ会社の方が伸びる傾向があるらしいことを新聞などで読むこともある。「自分の生活を支へる収入はどこから来るか」を考へなくてよろしいと言ってゐるのではない。もっと違ふ価値観のもとにはたらく文化があっても良いと思ふのである。僕は若い頃、「お客様からお金をいただいてやってる仕事だからもっときちんとしなければならない」といふ考へをすることもあった。今から思ふと、その考へ方は少しグレーであったとも思ふ。もし2倍のお金をもらふならさらにきちんとしなければならないといふことになってしまふ。「きちんとする」ことは機械の方が人間よりも上手にやってくれる時代が来れば、お金の問題とは関係なく、自分の持つことのベストをそこに注ぐ態度こそが仕事を含む生活の一般的心構への基本になるのではないかとも思ふ。