ユダヤ人の選民思想

2023-10-15 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 9 月 1 日>(先負 丙午 六白金星)新月 Vita käppens dag Hedvig Hillevi    第 41 週 第 27277 日

 

ユダヤ人には「自分達は神に選ばれた民である」といふ自負がある。その様に思ふことは決して悪いことではないと思ふ。生まれながらに自分に備はった性質を自覚してそれをのばさうと思ふ時、他のフツーの人と同じことをしてゐては自分はダメになってしまふと思ふことは誰にもあるのではないか。幕末に越前藩主松平春嶽の腹心であった橋本左内は15歳にして「啓発録」を著した。その中に「交友を択ぶ」といふ言葉がある。どこの誰とでも無差別に付き合ってゐてはこちらの志が低くなってしまふ。自分を高め、心から尊敬し合ひ、いざといふ時に親身になってくれる友達こそ我が同志であるといふ思ひは「選ばれた民」の概念と共通するものがあると思ふ。一方でパレスチナ人といふかアラブ人にも強い誇りがある。イスラエルが建国したことによって、パレスチナ人は故郷を追はれて難民になった。自分達の生存権をなんとか認めてほしい、歴史の中に忘却されたくない、といふ思ひはこの土地における彼らの悲願となって、ある意味でそれは過去のユダヤ人たちが迫害された歴史が、今度はアラブ人たちの上に降りかかった様な一面を感じてしまふ。ユダヤ人の選民思想はいまや妙なナショナリズムを鼓舞して、本来あるべき彼らの使命感から逸脱してゐる様に感じられる。僕ら日本人はつい、なぜ彼らは話し合ひで解決できないのかと思ってしまふ。日本人は遠い先祖に「国譲りの神話」を持つ。出雲の国の大国主命は新しく天から降った天照大神に国を譲ったといふ話があるが、そんな神話の国に住む人間にとってはアラブとイスラエルの間のどこまでも交はらない平行線は理解しにくい。そんな人間に対して「君はどちらの味方だね?」といふ単純な質問はあまり意味がない様な気がする。

モミジの紅葉も先端から少しづつ