日本史の中の色好み

2021-03-19 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 2 月 7 日> (友引 丙寅 九紫火星) Josef Josefina  第 11 週 第 26334 日

 

日本の歴史は色好みの歴史である様な気がする。歴史に IF はないと僕も思ふけれど、もしも白河上皇があれほどまでに色好みでゐらっしゃらなかったら保元の乱は起きなかったかもしれない。また、二条天皇が、17歳で亡くなられた近衛天皇の皇后を、二代の后としてお迎へにならなければ平治の乱は起きなかったかもしれない。平清盛は、池禅尼のとりなしで、まだ子供であった源頼朝を殺さずに伊豆に流した。また常盤の子の牛若丸も生き延びることを許した。この判断を誤ったためにのちに平氏は滅ぼされたことになってゐるけれども、僕が思ふには、それで平氏が滅んだのではない。清盛が敵将源義朝の思ひ人であった常盤と関係したことが平氏の滅亡につながったのだと思ふ。僕がまだ学生であった頃、NHK大河ドラマで「新・平家物語」をやったことがある。清盛に扮したのは仲代達矢、その妻時子に扮したのは中村玉緒であったと記憶する。中村玉緒が必死の形相で「あの女だけはいけません」と夫にすがるシーンは今でも妙に生々しくまぶたに浮かぶ様な気がする。時代は下るが、羽柴秀吉も賤が岳の戦ひで柴田勝家を破った後、その子の茶々を側室にしなければ、豊臣家の運命は全く違ったものになってゐたと思ふ。僕は外つ国々の歴史を知らないが、日本ほど指導者の個人的恋沙汰が歴史に大きな影響を及ぼす国は少ないのではないかとも思ふ。飛躍があるかもしれないが、現代のセクハラの源流をそこに見てしまふ気がするのだ。

f:id:sveski:20210320063213j:plain

家から20分ほど歩いたところにこの様な自然遊歩道があるが、踏破したことはない。