ひきこもりの潜在的生産力

2019-08-05 (月)(令和元年己亥)<旧暦 7 月 5 日>(大安 甲戌 二黒土星) Ulrik Alrik 第 32週 第 25743 日

 

その数、百万とも言はれるひきこもりは高齢化して、40~64歳でも61万人にも及ぶことを新聞などで見る。これは現代に特有な現象なのかもしれないが、僕は人間の本性など、万葉の昔からさほど変化しないと思ふので、これは現代の問題であるとあまり思ひたくない。ひきこもりの人たちの心の扉を開くのは容易ではないかもしれないが、彼らは、自分の思ひ過ごしで身の回りを眺めてゐることはあると思ふ。本当は誰もいじめてないのに、自分はいじめられてゐると思ひこんでしまふ様なことはあるのではないか。僕は日本で仕事をしてゐた時に、働きすぎで疲れて心が弱くなった事がある。周りの人は誰もそんなに残業しろと命令してゐるわけでもないのに、自分の中にある義務感の様なものにかられて無理矢理頑張ってしまふのだ。やがて完膚なきまでに自信を喪失し、ついに会社を辞めた。このままズルズルと居座るのは自分のためにも会社のためにも良くないと思ったからである。辞職願を提出するだけの気力が残ってゐたのは幸ひであった。これも一種の思ひ過ごしだったかもしれない。実際、後で思ひ起こせば、もう少しズーズーしくやってればあんなに悩むこともなかったのにと思はないでもない。ところで、ひきこもりの人たちは、あり余る時間を、家でじっとしてゐて、一体どんな風に過ごすのだろう。もしかして猛烈に勉強する人も多いのではないか。そんな人たちは、はからずして、疲弊した現代の経済社会を再生する基礎を着々と築いてゐる可能性がある。彼らは、 AI の普及で職を奪はれる将来に、人はどう生きるべきかを示すパイオニアでもあるのだ。ひきこもりの人たちに援助の手を差し伸べる必要はない。相手にわかる様な形で、ひたすら信頼を寄せる事が最も大事なことと思ふ。

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Nyköping 川。橋上にお祭りの露店が見える。