山折哲雄氏の「生老病死」

2023-04-19 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 29 日>(赤口 丁未 五黄土星) Olaus Ola  第 16 週 第 27098 日

 

現代のこの世にゴマンと増えてしまった高齢者たちは、これから先をどの様に老いていけば良いのかと迷ってゐる人も多いのではないかと思ふ。むろん僕もそんなひとりであるが、その回答は結局のところ本人ひとりひとりが自分に問ひかけるしかないのだと思ふ。さうは言っても、参考になる意見はやはり重要で、たまには本なども読んでみやうかと思ふこともある。山折哲雄さんの文章には読んで安心感があって、多分多くの高齢者がさうであるやうに、あるいは若い人の中にも注目する人は多いのかもしれないが、僕もまたこの方のファンである。だが、書かれてあることをちゃんと飲み込みもしないうちから安心してしまふ癖が僕にはあるから本当のファンとはいへない。また、ファンといへるほどには御本を読んでない。それでたまたま何かで目にとまった氏の「生老病死」といふ本をAmazonKindle版で読んでみた。読後感としては、慰められる前に圧倒された感じがあった。どのエッセイを開いてみても、やさしい語り口のうちに若き日からの浩瀚な読書に支へられてあることが滲み出てゐて、何も読んでない僕には今更ながらに己の来し方に疑問を挟まないではゐられなかった。僕にとってはこの本は慰めの書といふよりは読書案内の啓蒙書のようにはたらくことになったのである。教へてもらふこともたくさんあった。たとへば、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」の句など、今までぼんやりぼやけてゐた印象が急にくっきりとピントがあったやうに思はれたのだった。今となってはこれまで本を読んでこなかったことを焦っても仕方がない。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」この言葉を頼りに生きていくしかないのではあるまいか。今更そんなにたくさん本も読めないし、朝から夕べまでの短い間に詰め込んで読書する間もあるまいといふ安心を、この言葉が促してくれるからだ。

暖かくなったので自転車を出して町まで行ってみた