大友皇子

2022-11-21 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 10 月 28 日>(先勝 戊寅 一白水星) Helga Olga 第 47 週 第 26949 日

 

壬申の乱」って随分昔の話で、そんな昔のこと、今さら思ひ出してもどうかなって気持ちが僕にはある。でも、里中満智子著の「天上の虹」の壬申の乱のところを読んで、そこには今も昔と変はらない人間の心理があるのではないかと思った。大友皇子は負け組で、その分、僕には印象が薄かったのだが、戦ひの勝ち負けの結果だけを見て色々なことを判断してはいけないのだといふことを改めて思った。大友皇子は父君に継いで天皇に即位する野心をお持ちではなかったと思ふが、そんな弱気でゐるのになお、結果として大戦争を起こしてしまはれたところが恐ろしい。父から託された次期天皇への期待に応へなければならないと思はれたかもしれないし、自分の意思とは別に動く周囲の動きに圧されてしまはれたのかもしれない。一方の大海人皇子には、次期天皇への野心を隠すような屈折した心理がおありであったと思ふが、吉野へ籠られた時のお気持ちは、己の野心を頼むよりは、天の導きに全てを委ねやうといふお気持ちの方が圧倒的でおありだったらうと思ふ。僕は大友皇子はずっと天皇にはならなかったのだと思ひこんでゐたのだが、日本皇室の系図を見ると、天智天皇の次は弘文天皇になってゐて、天武天皇はその次である。つまり、大友皇子天智天皇崩御から壬申の乱までのわづかの期間に弘文天皇として歴代天皇に列せられてある。ただ、その漢風諡号が贈られたのは明治3年のことであると、ネットで調べると書いてあった。藤原定家が選んだとされる百人一首の巻頭の歌は天智天皇で、二番目の歌は持統天皇である。歌人であられた大海人皇子の歌はない。そのことの意味を改めて思ったりする。また、大友皇子は教養の人と伺ってゐるが、和歌はあまり詠まれなかったのか、そのお歌が万葉集にあるのかしらと思ふ。そのことで余計に印象が薄くなってしまふのではないだらうか。ともあれ、プーチンのような指導者が現れる時代に、全く武力を頼まずに絶対平和主義でいくと、結局は弱気とみなされて、大友皇子の様な運命になってしまふかもしれない。それでもやはり、平和主義を尊重する気持ちは大事だと思ふ。

雪でスウェーデンの交通が大変だったとニュースで見た