日本の原子力の政策転換

2022-09-08 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 13 日>(友引 甲子 三碧木星)白露 Alma Hulda 第 36 週 第 26875 日

 

2011年に福島の原子炉溶融事故が起きるまでは、僕は日本の原子力の推進に、反対まではしなくても、慎重であるべきだといふ考へであったのだが、事故が起きて、みんなの意見が一斉に脱原発に傾き出すと、今度は原子力をもう少し前向きに活用しないといけないのではないかと思ふ様になった。長い目でみれば電力不足になる心配があったからで、「目下の電気は足りてるぢゃないか、原子力は要らないね」といふ意見には、どうしてもくみする事ができなかった。電力の需給率が90%を超えた状態などは危なっかしくてかなはない。そもそも原子炉が本質的に持つ危険性は、原子炉を止めたからと言って小さくなるものではない。運転しなければ安心と考えるのは精神論といふか、根拠のない気休めにすぎない。運転を止めて長い時間が経つと、再起動する時に思はぬトラブルに見舞はれてしまふのではないかと気がかりだし、運転員は長いブランクの後で、どこまで訓練されてゐるかも心配な点だ。10年以上も経つ間にベテランの運転員たちはやめていったのではないか。これらの心配を解消するためにも、もっと早い時期から原子炉を連続的に稼働すべきであったのではなかろうか、むしろその方が、長くブランクを置くよりも原子炉の安全性を保てたと思ふ。最近になって、政府は原子力の再稼働に向けて舵をきり始めた。原子力利用への政策転換はスウェーデンやドイツなどヨーロッパでも同じ様な傾向が見られる。原子力は、課題が山積みであるから、無責任に推し進めれば良いといふものではもちろんないけれども、もう少し安定した政策の方向性があるべきと思ふ。長期的には、今の巨大なタービンを回して発電するやり方を変更して、もっと本質的に安全な、運転員の負担も軽い原子炉に置き換えていくことも大事ではないかと思ふ。核燃料サイクルもどうすべきか。今の世に電気自動車や自動運転車や量子コンピュータなどの開発に向けられてゐるほどのマンパワーが新しい安全な原子力の開発に注がれたなら、状況はかなりよくなるのではないかといふ気もする。

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