電気の時代の憂ひ

日 旧暦 6月29日 仏滅 己卯 六白金星 Bernhard Bernt V33 25030 日目

今月15日に台湾で大規模停電が起きた。新聞によると原因は人為的なミスであったらしいが、担当大臣はすぐに辞意を表明したといふし、一時的に株価が下がるなどの影響もあったらしい。昨日の新聞には、今後の対策として蓄電施設の建設可能性についても触れられてゐた。日本では災害時を除けば大規模停電を経験してゐない。だが、これから次第に電気自動車が増えると電気が足りなくなるのではないかと心配である。さらに AI 技術の発達も目ざましいが、AI はものすごく電気を使ふものであるらしい。最近話題の量子コンピューターが発達すればどうなるかわからないが、テクノロジーの進歩で、電力需要はこれから先、急速に伸びるのではないかと思ふ。僕らは既に電気がなければ何もできない時代に生きてゐる。そしてその依存度は、それと意識せぬうちにますます高くなるばかりである。都会の最新の高層ビルは、災害時などの停電対策にディーゼル発電機を装備してゐると話に聞く。燃料の管理や、保守や、定期的な作動試験など、どんな風にやるのかなと思ふ。真面目にやればそれだけでも随分お金もかかるだらうなと思ふ。うがった見方をすればそれは居住者を心理的に安心させるだけの仕掛けに終はるかもしれない。何しろ、福島の原発事故ではその最後の頼みの綱であったディーゼル発電機が、今ここといふ、まさにその時に役に立たなかったのだ。大規模な火山爆発が起きれば、太陽光も風力発電も無力化する恐れもある。多様な電源をたくさん用意することは急務ではないかと思ふ。福島であれだけの被害を出し、今なほ故郷に帰ることのできない人たちのことを思へば、原子力に反対する人の気持ちも分からぬではないが、このまま行けば、日本は電力不足といふ袋小路に追ひつめられるに違ひない。原子力の脅威を言ふなら、そこにあるだけでもう危ないのであり、運転を止めてゐるから安全である様に思ふのは根拠のない精神論に過ぎない。むしろ、停止期間が長びくことで人的資源が崩壊し、ますます原子力の安全管理を脅かす方へ追ひやってゐるのではないかと、そちらの方が心配である。とは言へ、原子炉再起動すれば問題が解決するわけでもない。高速増殖炉もんじゅ」が挫折した今なほ、日本は核燃料サイクルの方針を諦めてゐない。その大方針は簡単には変更できないのだらうが、そこに漂ふ先行きの不透明感と、放射性廃棄物の最終処分場が宙に浮いたままであることが、日本の大問題ではある。進むに進めず、引くに引けず、プルトニウムが余って、下手をすれば核保有国への伏線を張り続けてしまふに及ぶ。一方で電気は足りなくなる、、本当に困った問題だと思ふ。