新型原子炉の開発

2020-07-10 (金)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 20 日> (赤口 甲寅 一白水星) André Andrea 第 28 週 第 26082 日

 

2011年に福島第一原発メルトダウン事故があってからこのかた、原子力はもう結構、といふ民衆の意見が世を覆ってゐる。確かにあの様な事件を起こしてしまった以上、何の弁解の余地もないのだと思ふ。原子炉で、あるいは蒸気発生器で、大量の蒸気を発生させてそれを巨大なタービンに送り込み大出力の電気を得るといふやり方を取る限りは、どこかに不安な気持ちを抱くのも無理からぬところがある。物質の奥に秘められた原子核エネルギーを解放する原子力技術は、1940年代にまづ爆弾といふ形で開発された。戦後になってそれは平和利用に広がった。しかしその出発点が爆弾であったことから来る固定した観念の枠組みを打ち破るのは短期間では難しかったかもしれない。それで上述の様な大規模原子力発電システムができたのだと思ふ。原子力発電所はコンピュータ技術の様にソフト的に最新のバージョンに随時アップデートすることはできないので、一度建設してしまふとその時の水準をずっと何年も使ひ続けることになる。最近の海外の新型原子炉の傾向を見ると、小型化、モジュール化、分散化が進み、非常用電源としてのディーゼル発電機も必要としないタイプのものが開発されてゐる様である。安全性は従来の原子炉よりはるかに高く、運転管理もシンプルである。その様な技術の開発を日本でも独自に進めておかないと、将来、日本は大変な困難に陥るのではないかと危惧する。小出力で、災害にも強い穏やかな原子炉の開発はできないだろうか。いや、実際には日本でもその様な研究が進められてゐる話を昔聞いたことはある。しかし、最近はその進展があるのかどうか分からない。太陽光発電風力発電など再生可能エネルギーは近年格段の進歩を遂げ、それはそれで大変喜ばしいことではあるけれども、あまりにもそればかりを頼りにしたのでは、必ず困ったことが起きるに違ひない。そんなことは何も僕が心配しなくても良いのだが、気になる事ではある。

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外に出るとひいやりとした風。とても夏とは思はれなかった。