男社会のルーツ

2022-08-13 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 16 日>(仏滅 戊戌 二黒土星) Kaj 第 32 週 第 268535 日

 

「古代のユダヤ人は日本に渡来し、日本人の祖先となった」といふ説が、かなり前からあるやうである。そんなことを言はれても簡単には信じられないし、鵜呑みにもできないが、かと言って、頭ごなしに否定するのも正しい態度とはいへない気がする。例へば日本の「お神輿」といふ移動式の神殿は、紀元前1000年頃エルサレムに運ばれた「契約の箱」と良く似てゐるといふし、日本の神道、神社での営みや、その他、日本に今も残る風習と古代イスラエルの風習には共通点が多いといふ。長い鼻と赤い顔の天狗はユダヤ人がモデルであると言はれればそんな気もする。やや気になるのは、皇室の菊の御紋が、古代ユダヤの神殿遺跡、エルサレム城壁のヘロデ門に発見されてゐるといふ指摘である。三種の神器の八咫の鏡の背面にはヘブル語が書かれてゐて、それは旧約聖書に記された「私は有って有るもの」といふ神の御言葉であるといふ噂も、明治時代からあるらしい(が、本当のところはわからない)。言葉の上でも、日本語とヘブル語に類似語があると言はれるが、これもその道の専門家の見解を聞きたいところである。先日ブログに書いたカタカナもヘブル文字によく似てゐるさうである。また、国産みの神話に出てくる「あなにやし」といふ言葉も、ヘブル・アラム語Ana-nisa から来てゐるとすれば「私は結婚する」といふ意味になるさうである。それはともかくとして、ユダヤの歴史では、紀元前10世紀に12支族からなる統一王国があったが、後に南北に分裂した。「南王国ユダ」の人々が「ユダヤ人」と呼ばれたが、「北王国イスラエル」についた10支族も、広い意味ではユダヤ人である。ダビデ王、ソロモン王、レハベアム王と続いた頃、南北王国の対立が深まった。紀元前722年、北王国イスラエルアッシリアの侵略を受けて敗れ、東方に逃れた。一方の南王国ユダはアッシリアからの脅威から130年生き延びたが、やがてバビロンに移される。その後、ペルシャ帝国が興って、一部の人たちはカナンの地に戻ることができた。しかし、「北王国イスラエル」にゐた10支族は行方不明になったままである。その人々の多くは、中央アジアに約800年住んだとされるが、西暦1世紀と3世紀に中央アジアの「タクラマカン砂漠」付近で気候変動があり、一部の人たちは中国の開封に移り住んだ。そこからさらにまた一部の人たちが日本に渡ったのではないかと推定されてゐる。(ちなみに、神武天皇の即位は紀元前660年?とされてゐる。また継体天皇の即位は507年?とされてゐる。)ここまでは、「この国深奥の重大な歴史」(久保有政編著・ヒカルランド刊)といふ本を参考にして書いた。もし、古代の日本が、ユダヤから来てゐるなら、日本の男社会といふ風習もまたユダヤから来てゐるのではないかとこの本を読んで思った。といふのも、ユダヤ人の社会といふのは多分男社会であるからである。新約聖書・マタイ伝の冒頭にアブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリスト系図が書かれてあるが、「ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり、このマリヤよりキリストと称ふるイエス生まれ給へり」と書かれてあるが、マリヤはヨセフと交はることなく身ごもったのであるから、系図として重要なのはヨセフよりもマリヤではないのかと思ふ。それでもヨセフの系図が書かれてあるのは、ユダヤ社会が強い男社会であったからであらうと思ふ。日本皇室の系図も同じ考へで構成されてゐる。「原始、女性は太陽であった」国が男社会となったのは、ユダヤ人が入って来たからだらうか。

我が家のイチョウも少し黄を帯びた色になり始めた。