内村鑑三の失望

2022-07-11 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 13 日>(赤口 乙丑 八白土星) Eleonora Ellinor 第 28 週 第 26822 日

 

内村鑑三は明治17年、アメリカに留学した時、希望に胸を膨らませて海を渡った。そこはそれまで自分が学んだキリスト教の行き渡った、憧れの素晴らしい国であらうと想像してゐたからである。ところが実際に行ってみると失望した。例へばホテルの掃除をする人たちの腰にはたくさんの鍵がぶら下がってゐる。日本の襖や障子には鍵などないが、ここでは自分の部屋に鍵をかけなければ簡単に盗まれてしまふといふ現実を知って愕然としたのである。無防備であっても悪いことをする人など居ない社会であればどんなに暮らしやすからうと思ふ。昔の日本にはそのような雰囲気が確かにあった。それが次第に、「盗まれるのは鍵をかけなかった方が悪いのだ」と言はれる社会になってしまった。安倍元首相銃撃事件で、警備体制の弱かったことが批判されてゐる。しかし、それは警備を担当する関係者たちが自らに課すべき反省であって、外部の一般人が「警察は何をしてるんだ」とばかりにその批判に乗じるべきではあるまい。僕たちが目指すべき社会は、たとい緩い警備であっても安全が保たれる社会なのであって、ピリピリと隙のない厳重な警備に囲まれた社会ではない筈だ。

Nyköpingshus 前の Vallarna の池には今年も蓮が咲いた。