平家物語「烽火之沙汰 4」

2021-02-27 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 1 月 16 日> (仏滅 丙午 七赤金星)満月 Lage  第 8 週 第 26314 日

 

小松殿では馳せ参じたものたちが誰々であるかを調べて、盛國が帳簿をつけた。その人数は一万餘騎に及んだといふ。その帳簿を見てから重盛は中門に出て集まったものどもに向かって話を始めた。「日ごろの契約を守ってけふは皆よく集まってくれた。中国にはこんな話が伝へられてゐる。周の幽王には褒姒(ほうじ)といふ名の最愛のお后があった。天下第一の美人である。けれども幽王にとって残念であったのは、このお后は一切笑ふといふことをしなかった。当時は天下に兵乱が起こると、あちこちに火をあげ、太鼓をうって兵士を集めることになってゐた。これを烽火と言った。ある時、兵乱が起こったので烽火をあげた。すると后はこれを見て「おやおや、びっくりだこと。火もあんなにたくさん見えますよ」と言って、初めて笑った。この后はひとたび笑ふと百の媚びが生じるのだった。幽王は有頂天になって喜び、それからは何といふことがなくても烽火をあげる様になった。兵士が駆けつける。攻めてくるものがない。むなしく引き返すだけであった。そんなことがたび重なると、烽火があがっても誰も集まらない様になってしまった。ある時隣国より凶賊がおこって、幽王の都が攻撃された。急いで烽火を挙げたのだが、いつも后を喜ばせるためののろしが習慣になってゐるものだから、集まって来る兵士などなかった。それで都は攻め落とされて幽王はついに滅んだ。この后はそれを見ると狐になって走り去った。恐ろしいことである。皆のものはこれから先も呼び出しがかかったらけふの様に集まってほしい。重盛はおもひがけない大事件が起こると聞いたものだから、けふはみんなに集まってもらった。しかし、もう一度聞き直してみた。するとそれは間違ひだと分かった。今日はせっかく集まってもらったのだがこれで解散する。皆さん帰りなさい」かうして兵士たちは帰って行った。本当のところは、はじめから大事件が起こる話などなかったのである。西八条で父を諌めたが、その言葉にしたがって、一体どれほどの兵が自分の方に集まるものかを調べたのである。また、父と子の戦ひを始めようなどとは思はなかったが、かうすれば父上も謀反を思ひ止まってくださるだろうと計らってのことであった。

主君に間違ったお考へがあっても、家臣は正しくあろうとしなければならない。父がひどい父であっても、子はどこまでも正しくしなければならない。君のためには忠あって、父のためには孝あるばかりである。文宣王(孔子)のお言葉の通りである。後白河院もこのことをお聞きになって、「今に始まったことではないが、重盛は誠に立派な考へのものであることよ。普通ならなら仇で返すところを、恩をもって返すのはあっぱれだ」とお褒めになった。また、町の人々も「前世の果報が結構なので大臣で大将を兼ねられたのだろうが、そればかりでなく容姿風采も人に勝り、智恵学問までも飛び抜けてゐるではないか」と言って感心し合ふのであった。「國に諌める臣あればその國必ずやすく、家に諌める子あればその家必ずただし」と言ふ。重盛は、上古にも末代にも滅多にない、誠に立派な人物であった。

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