平家物語「小教訓2」

2020-12-06 (日)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 22 日> (先勝 癸未 五黄土星) 2:e advent Nikolaus Niklas   第 49 週 第 26231 日

 

小松のおとどは、その後随分時間が経ってから、嫡男の権亮少将(維盛)を車のすみに乗せ、衛府四、五人、随身二、三人だけを連れてやって来た。兵はひとりも連れず、殊のほか大様に構へてゐる様に見受けられた。入道清盛をはじめとして、あたりの人々は皆、これはどうしたことだろうと訝しげにその様子を見た。重盛が車から降りたところへ貞能がツッと近づいて「これほどの大事を前にして、なぜ軍兵どもをお連れにならないのですか」と尋ねた。重盛は平然と「大事とは天下の大事をこそいふのだ。この様な私ごとの揉め事は大事ではない」と言ったので、武装してその場にゐた者どもは皆きまり悪さうにした。

「さて大納言はどこに置かれたのやら」と言って重盛はあちらの障子、こちらの障子を開けて探し回った。ある障子の上に材木を蜘蛛の脚の様にうち重ねたところがあった。「ここだな」と障子を開ければ大納言が居られた。涙に咽びうつぶして、誰かが来たのも分からないご様子である。「どうしましたか」と声がかかったので、顔を上げれば重盛であった。その時の嬉しさうなご様子といったら、地獄に落ちた罪人どもが地蔵菩薩に会ふことができた時もさぞかしこんな風ではあるまいかと思はせるほどで、あはれなご様子であった。大納言は「どうしたことでせうか、こんな目にあってしまひました。しかし、あなたがその様に落ち着いてゐらっしゃるから、それでも私は助かるだろうと頼みにしてゐます。平治の時にも既に誅せらるべきところであったのを、ご恩をもって助けていただきました。それから正二位の大納言にまであがって、歳は既に四十を過ぎました。これらのご恩はいつまでも報じ尽くす事が出来ません。どうぞ今回も、この生きてゐても大したこともなささうな命をお助けください。命さへ助かるなら出家入道して、金剛峰寺のある高野山粉河寺のある粉河か、都から遠い地に閉ぢこもって、ひたすら死後成仏のための修行をするつもりです。」と言ふのだった。

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明日からノーベル週間。市庁舎へ行ってみた。ここでは例年であれば授賞式後の晩餐会が開かれる。