心に信じるもの

2020-10-29 (木)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 13 日> (先負 乙巳 七赤金星) Viola   第 44 週 第 26193 日

 

福井地震があったのは1948年で、僕はまだ母の胎内にゐた。建物の下敷きになった母は助けられて生き延びた。それで僕も生き延びた。当時の建物はすぐに倒壊したが、作りが簡易であったので、本格的な建設機械がなくても近所の人の手で救助できる場合が多かったと思ふ。戦後の復興途上のことで、人々はまた振り出しに戻された。我が家の1階部分の記述は木造・昭和23年となってゐるから、その年のうちに小屋の様なものを建てることができたのだと思ふ。その家で僕は生まれた。それからの数年間はきっと苦しい生活であったに違ひない。一方で戦争のない時代になったことの喜びも大きかったかもしれないけれども。物心がついてからの悲惨な思ひ出はないが、父母や祖母や姉はどんな風にあの苦しい時代を乗り越えたかなと想像することがある。それは苦難といふほどの苦難ではなかったのかもしれないが、それでも自分にはその様な中を生きた時代があることを思ふと励まされる。何故こんなことを書くかといへば、現代は地震津波や水害などの災害の多い時代となり、いつか秩序が崩壊するのではないかといふ漠然とした不安があり、コロナでますます生活が苦しくなる人が増える状況にあるからだ。政府は国民の生命と財産を守るといふが、本当に大きな災害が来た時にはあてにならないと思ふ。そんな時「政府は何をしてるんだ」と叫んで落ちて行くより、何か心に強く信じるものを持ちたい。だが、もしそんな気持ちを抱く人が増えれば、それにつけ込んで変な宗教が跋扈しないとも限らない。そんな注意もせねばなるまいと思ふ。

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学校が秋休みのせいかコートに人影はなかった