災害と住宅問題

2019-10-14 (月)(令和元年己亥)<旧暦 9 月 16 日>(赤口 甲申 四緑木星)体育の日 満月 Stellan 第 42 週 第 25812 日

 

台風19号の被害状況はさらに広がりを見せて、いつ普通の暮らしに戻ることができるか、見通しの立たない被災者も多いのではないかと思ふ。家を失った人たちの途方に暮れる悲嘆はどんなものかと思ふ。僕は改めて思ふのだが、災害対策の面からも、日本の持ち家制度を考へ直すべきではないかと思ふ。多額のローンを抱へてマイホームを建てて、ローンの返済に苦しんだ挙句に災害で全てを失くしてしまふリスクがあるのはあまりにも悲しい。災害で失くさないまでも、次に住む人が居なくて空き家になって社会問題化するリスクもある。個人で家を所有すると不動産となり、一見それは財産と見なされるが、その実態は苦しみを抱へるだけの場合もある。もし、災害で失った家が自分の所有でなかったなら、精神的あるいは財政的負担は比較的軽くてすむのではないか。自分の所有でなければ相続のことも考へなくて良い。日本の場合は持ち家でなければすぐに賃貸といふことになるが、スウェーデンにはその中間的な形態がある。不動産を所有することはないのだが、そこに住む権利を所有するといふ形である。壁をなくして二つの部屋を一つにしたり、内装を自由に改装することも自由である。ただし、外壁の窓やドアは居住者組合の意向で一斉に取り替へたりされることがある。また、あまりに特殊で固有な改装をすると、住む権利を他の人に売り渡す時に安く見積もられることもありうる。日本では賃貸アパートだと、釘さへも壁や柱に打たないでくださいと言はれるのとは大違ひである。マイホームの悪いところは、築後何年か経ち、補修すべき状況になっても、住む私さへ我慢すれば良いのだからと思って、補修を延ばし延ばしにすることだ。家は次第に荒れていく。建物は社会のものといふ意識で見ることも大事だと思ふ。毎月家賃を払って結局自分のものにならないのは損だと思ふ気持ちは分からないでもないが、よく考へると所有しない方が楽な場合が多い。家族構成が変はった時などに家を変はる自由もある。土地と建物は公のもの、しかし、そこに住む権利は私のもの、といふ様な制度が一般化すれば、災害対策の面でも対応が少しでも楽になるのではないかと思ふ。

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