一人称と二人称の生活

2020-06-11 (木)(令和2年庚子)<旧暦閏 4 月 20 日> (大安 乙酉 四緑木星) Bertil Berthold 第 24 週 第 26053 日

 

家に閉ぢこもり、他の人に会はないで長い日が過ぎた。娘の家族とはたまにビデオでチャットする。それ以外は話す相手はほとんど同居人だけで、一人称と二人称だけの会話が多い。遥か昔、中学生時代に英語の授業で3単元のSといふものを習った時、三人称とは、私・あなた以外の全てのものをさすと教はった。私・あなた以外であれば人(somebody)でもモノ(something)でも同じ扱ひになることが小さな驚きであった。日本語でももちろん一人称・二人称・三人称はあるがそれによって動詞が変化したりはしない。むしろ、身内であるか外の人であるかの違ひで表現を変へたりする。多くの外国語で一人称・二人称・三人称の区別はかなり重要な気がするが、小さい頃からその様な言語生活をすると、日本語で生活するよりも自我の意識がハッキリするのかもしれない。日本語では自我と身内とは意識の上で峻別されない様な気もする。日本と西洋とのものの考へ方の違ひにその様な言語の性質が影響してゐるかもしれない。家に閉とぢこもり、一人称と二人称だけの生活をしてそんなことを思った。

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スウェーデンではよく飛行機雲を見かけたのだがこの頃はほとんど見ない。