コロナの憂ひ

2020-04-12 (日)(令和2年庚子)<旧暦 3 月 20 日> (仏滅 乙酉 七赤金星) Liv Påskdagen   第 15 週 第 25993 日

 

最初にスウェーデンに渡って来た時には、仕事で日本に行く機会がどれほどあるのか、見当もつかなかった。しかし、こちらでの仕事に慣れて、日本むけの仕事が続く様になると、毎年行く機会が与へられた。それも年を追ふにつれて頻繁になった。どういふ偶然によるものかわからないが、期間によっては故郷の福井で仕事をする機会も与へられた。まるで見えない糸に導かれる様で、僕はその幸運を喜んで仕事に精を出した。この様にスウェーデンと日本の間を行ったり来たりできたのは日本人の僕にとってまことにありがたいことであったのだが、どこか、後ろめたい気持ちも無いではなかった。自分の様な人間が頻繁に飛行機で行ったり来たりすることは、生まれながらに与へられた己の本分に逆らってゐることはないのか、といふ様な疑問が心の何処かに小さなわだかまりをなしてゐたのである。昨年くらいから Flygskam 「飛び恥」といふ言葉も聞く様になって、ますますそんなことを思ふ様になった。そこへ今回のコロナウイルス騒ぎである。この春の日本行きを足止めされたことは、その辺の思ひをもう一度振り返るきっかけにもなったかなと思ふ。ただ、あまりに消極的になりすぎては、それもまたどうかなといふ思ひもある。どこでバランスさせるかは難しい。

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今日の復活祭、午前中は曇り、午後は風が強かった。