岩手県のストレス

2020-06-14 (日)(令和2年庚子)<旧暦閏 4 月 23 日> (友引 戊子 七赤金星) Håkan Hakon 第 24 週 第 26056 日

 

毎日 COVID-19 の日本とスウェーデンでの感染者の数を観察してゐる。日本では感染の第1波は収まりかかったが、第2波の始まりと見るべきか、ジワリと感染者の増加が、主として東京で見られる。スウェーデンでは依然として感染者が一日ほぼ千人くらいのオーダーで増え続けてゐる。ただし、死者数は減って来て、今日は死者がゼロだった。日本ですごいなと思ふのは岩手県だ。コロナ騒ぎが始まってから今日まで、一人の感染者も出してない。さぞや岩手県民は誇りであろうと思ひきや、なかなかのストレスに晒されてゐるらしいことを新聞で読んだ。つまり、自分が感染第1号者になって社会から白眼視されることになりはしまひかといふストレスらしい。こんな心配をする国民は日本以外にはないのではないかと思ふ。他県からの来訪お断りといふのも日本特有ではないだろうか。どんなに厳重に守ろうとしてもウイルスは入り込んでくるかもしれない。誰もそれは不注意から来たのだと責めることはできないと思ふのだが、日本にはその様な責任追求をする空気があまりに強いのはどうしたことだろう。「コロナにかかったその日から冷たい差別が始まった」とならない様に、社会はもっと暖かい目を向けねばならないと思ふ。が、僕の意見はエラソーに聞こえるかもしれない。自分だって「自分さへ感染しなければ良いのだ」といふ考への人と結果的に行動は同じではないかと言はれてしまひそうだから。でも、話は飛ぶが、食卓に並ぶ食材を口に運ぶ時、「自分のお金で買ったものだもの、私が食べるのは当然だ」と思ふ人と、「命の恵みに思ひを至らせて感謝していただきます」と思ふ人と、結果として「食べる」といふ行為だけを見れば外見からは同じかもしれないが、その違ひは実は大きいと思ふ。「自分だけは感染したくない」といふ思ひだけで対処してゐると、それは人種差別に繋がる危険もある。自分たちだけの利益を守るといふ狭量な方針ではこの災厄を乗り切ることはできないと思ふ。

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毎日良いお天気で空気は乾燥してゐる。