田辺聖子さんも逝ってしまった

2019-06-11 (火)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 9 日>(先勝 己卯 三碧木星入梅 Bertil Berthold 第 24週 第 25688 日

 

それほど熱心な読者でないけれども、田辺聖子さんの文章にはいつも惹かれてゐた。日本経済新聞私の履歴書を執筆されたのは 1997 年である。今から 22 年も前のことになるが、今でも部分的にその内容を思ひ出すことがある。あの当時はまだデジタルで新聞が読める時代ではなくて、勤めてゐた会社で紙の新聞をとってもらってゐた時代であった。ロンドンで印刷された新聞が2日ほどの遅れでスウェーデンに届いた。遠く離れても日本語で新聞が読めるありがたさに感激した日々であったが、そんな中に田辺さんの私の履歴書があった。大阪の良さを実に誰にでも納得のいく形で書かれた部分があって、読んだ後にそれと同じことを自分の言葉で他の誰かに伝えようとしても、上手な言葉で再現できなかったことを覚えてゐる。田辺さんは僕にとっては昭和の思ひ出とひとつになった作家であった。この方から、まだ若かった頃の僕は日本の古典文学の手ほどきを受けた。その膨大な著作はこれからもずっと生き続けると思ふ。

 

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この頃はどんより曇り空が多い。日本でも梅雨の時期かと思ふ。