子供達の未来のための環境

2019-09-27 (金)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 29 日>(赤口 丁卯 三碧木星) Dagmar Rigmor 第 39週 第 25796 日

 

スウェーデンの16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさんが23日にニューヨークの国連本部で行われた「気候行動サミット」で演説したことに関連する新聞記事をいくつか見た。また、それに呼応する様に今日、スウェーデンの各地で人々が集まり、デモやストライキが行はれた。みんなが環境に関心を持つきっかけになるならそれはとても良いことだと思ふ。だが、どこかお祭りの様でもあり、その反面で何が変はるだろうかと疑ふ気持ちもある。トゥンベリさんの演説は、自分が16歳であった頃を思ひだすと、すごいなあと思ふ。昔の僕は田舎の学校の校内弁論大会を聞くだけでも圧倒されたのに、国連まで出かけて演説するのはものすごいことだと思った。それだけ思ひは切実なんだと思ふし、同時代を生きる一員として、その志を高く評価したいと思ふ。これをきっかけに世界中で一人でも多くの人が環境への関心を持つなら良いことには違ひない。だがその演説の内容を読んで僕の心に浮かんだことは「人間の原罪」といふことであった。また、地球は温暖化してゐるといふが、45億年の地球の歴史の中でごく最近の1万年だけが奇跡的に気候が安定してゐたこと、その幸運に支へられて人類が束の間の繁栄をみたことを思へば、人間の活動とは無関係に気候が不安定になっても不思議ではない。最近は世界の各地で地震津波や火山活動の活発化も見られるが、それも人為的な原因によるとは断言できないのではないか。地球温暖化は確かに脅威の一つだが、人類の破局はどんな方面からやってくるかわからない。ここで僕は無責任に何をやっても良いと言ふのでは無論ない。もっと広い見地からどうしたら人類は破局を避けて生き延びられるかを考へなければならないと思ふのだ。ひとつの問題はこの地上に人間が増えすぎたことだと思ふ。生まれてきてしまへば、命は大事にしないといけないが、人類の破局を避けるためにはこれ以上人口が増えない様に努力することがまづ大事だと思ふ。グレタ・トゥンベリさんは「経済成長といふおとぎ話」を軽んじてゐるが、増えてしまったこれだけたくさんの人たちがこの地上で生きて行くためにはもっと技術を発達させることによって問題を解決しないといけないのではないか。そのためにはお金が必要で、経済が成長してもらはなければ困る一面もあると思ふ。成長が悪いのではない。何のための成長かを見極めようとしないことが悪いのだ。千万人がプラカードを掲げて集合しても、貧困だけの中からは何も生まれないのではないか。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」といふ言葉もあるが、普通の人は自分の財産に執着するものだと思ふ。それは悪いことだと心の何処かで思ひながらも執着するものだと思ふ。世の中のお金持ちは必ずしも悪徳の人たちばかりではないことを僕は信じたい。

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スーパーへ行く道すがら秋の色