東京電力の原発事故に対する裁判

2018-11-10 (土)(平成 30 年戊戌)<旧暦 10 月 3 日>(赤口 丙午 九紫火星) Martin Martina  第45週 第 25476 日

 

平岩外四といふ方は、当代随一の教養の人としてまづ有名であったけれども、かつて東京電力の会長、相談役をされてゐた。2002 年に原子力発電所のトラブル隠しが発覚して、相談役をお辞めになった。2007 年にお亡くなりになる。その4年後に福島の事故が起きた。2002 年のトラブル隠し事件はやがて炉心溶融といふ重大事故を引き起こす伏線として経営陣への大きな警鐘であったかもわからない。さはさりながら、福島のあの重大事故の場合、その責任がどれだけ東京電力にあるのかは簡単には論じられないと僕は思ってゐる。原発事故に対する裁判が始まって、その行方はどの様になるのかよく分からないが、何人かの限られた責任者を有罪にして溜飲を下げる様な性質の事故ではなかったと思ふ。事故の犠牲になった人からみれば、「責任者出てこい」と叫びたい気持ちも分からないではないが、如何にトップといへども、個人の責任に帰すべき性質の事件ではなかったと僕は思ってゐる。そもそも、津波の高さをどこまで想定したかとかいふ議論が僕の目から見ると的を外してゐるのだ。どんなに高い壁を建設したところで、自然の脅威の前には人間は無力であることをまづ認めないといけないのではないか。巨大な隕石が太平洋の真ん中に落ちれば、富士山頂さへも冠水することだって計算上ありうるのではないか。それは極端な話でありすぎるが、問題の焦点は、送電系統が予備系統も含めて破壊され、ディーゼル発電機も水に浸かって2台とも使用不能となった時に、如何に素早く代替電源を現場に急行させる用意ができてゐなかったかといふ一点は厳しく問はれなければならない。結果を知る者からのコメントではあるけれども。これは、これから他の原子力発電所が再起動を迎へるにあたっても一番重要な課題であると思ふ。

 

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