人は欲望とどうつきあふか

土 旧暦 10 月 29 日 友引 丁丑 五黄土星 Assar V50 25148 日目

「人は欲望とどうつきあふべきか」この質問に答を出せぬままに何年もの歳月が過ぎた。人は自然に沸き起こるあらゆる欲望を肯定して生きることの方が素直で良いのかもしれない。それとは反対に禁欲生活をした方がその後に本当の喜びが得られるものかもしれない。世の中のあらゆる文学といふものは、畢竟、人間の様々な欲望との付き合ひ方の記述であるのかもしれない。答はきっと二者択一の単純なものではないのだらうと思ふ。大事なことは二つの極端の間で悩むことと、その時、その場の自分なりの最適解を見出す能力であると思ふ。二つの極端は見かけ上正反対に見えながら、実は深いところでひとつになってゐる気もする。老齢になって救はれる思ひがすることのひとつは、欲望といふものが次第に希薄になって行くことである。修行といふものは欲望を如何に抑へるかといふトレーニングであると思ふが、もともと欲望がなくなればトレーニングは要らないのかもしれない。いや、必要かもしれないが、楽になるのではないかと思ふ。甘いかな。禁欲生活をして、楽しむべき人生なのに損をしたと思ふ人の後悔と、欲望に溺れて蹉跌を踏んだ人の悔悟と、いづれか重き。