学歴偏重社会

2022-02-01 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 1 月 1 日>(先勝 乙酉 四緑木星新月 Max Maximilian 第 5 週 第 26662 日

 

僕がまだ高校生であった頃には、「この社会は学歴偏重社会であるな」と思ったものだが、「それはこれから次第に是正されるであろう」とも思った。けれども、55年ほど経った今では、当時よりむしろ今の方がより学歴偏重社会ではないかとも思ふ。自分の学力が良くならないからと言ってナイフを持って誰かに切りつけるとか、試験会場で堂々とスマホを使ってカンニングするような事件が起きるのは、やはり学歴偏重社会であるからではないかと思ふ。最近はよくできる人には新卒でもびっくりするほどの高年収で採用する会社があるらしいが、そのような傾向は学歴偏重社会を助長するのではないかと思ふ。運良くそのような高収入を得られた人は、「自分は特別だ」と思ってしまひがちだ。そして、欲望を抑制するのではなくて、逆に欲望を広げていくので、社会は良くならない気がする。その一方で、最初の一年は皿洗ひしかさせてもらえないような雰囲気の職場は、今もあるのかもしれない。手に職をつけるためにはそれくらいの修行期間があっても良いような気がする。与へられた仕事を通じて何らかの意味で人間が高められていくのであれば、それは社会のためにも良いと思ふ。思ふに、本当に力のある人や、人生を楽しんで過ごすことを心得てゐる人は、学歴にあまりこだはらないのではないかと推察する。自信のないものに限って学歴を欲しがるのではないか。自分を顧みることなく、変な平等主義を夢想するのではないか。してみれば、学歴偏重社会は社会に問題があるといふよりは、人間が持つ根源的な弱さに起因するのであって、さうであればいつまで経っても学歴偏重社会は解消しない気がする。

f:id:sveski:20220202223813j:plain

スウェーデンでもこのようなお鮨を食べられるのはありがたい。