「やばい」といふ言葉

金 旧暦 9月 8 日 仏滅 丁亥 一白水星 Sabina V43 25098 日目

今朝の朝日の「天声人語」と日経の「春秋」とには、10年ぶりに改訂される「広辞苑」第7版の新語の扱ひに関する記事が載ってゐた。しかも、偶然にか、そこには「やばい」といふ言葉がどちらにも取り上げられてゐた。僕が高校時代まで過ごした福井地方では「やばい」とは羨望を表し、自分も同じものが欲しいとせがむ場合にも使ふ言葉であった。高校を卒業して東京へ出た時、「このまま対策をせずに置くと危なくなる」様な状況を表す使はれ方をすると知って、非常に驚いた記憶がある。もっとも、これは福井地方でも、僕一人がそんな言葉の用法を知らずにゐただけなのかもしれない。この二つの意味に共通する何かがあるだらうかと考へてみる。それは、もともと「何かしら狡い方法で価値あるものを入手した」状態をさすのではないかと思ふ。その状態から、一方では、「そんなことができるのなら、僕だってやりたい、欲しい」といふ意味に転化し、他方では、「狡いことをしたのがバレると大変なことになる」といふ意味に転化したのかもしれない。広辞苑の第7版では、「のめり込みさうである」といふ意味がつけ加はるらしい。「狡いことをしてしまひさうである」とも解釈できる。人間は古代からずっと「狡い方法」に弱いといふことかもしれない。それを羨望する間はまだ良いが、のめり込む様になると「やばい」のではないかと思ふ。