道元

水 旧暦 6月21日 友引 癸丑 五黄土星 Ulrik Alrik V32 24284日目

和辻哲郎の「道元」を読む。普通、宗教の書物はそれを読むことで気持ちが救はれることが多いのではないかと思ふが、僕はこの本にうちのめされて、今日は1日寝て過ごしてしまった。もしも道元の教への通りに生きようとすると僕は生き方を根本から修正せねばならず、それは意志薄弱の自分にはとてもできない相談である。かと言って、それを無視して生きると、その先に人間として生きる上での悔ひが残りはしまひかと妙な心配にかられる。僕は根本的に貧困が嫌ひなのだ。70年前の戦争で多くの日本兵は戦地ですさまじい飢餓状態に置かれた。内地でも一般国民の多くが飢餓を強いられた。その様な、食べるものもない貧困であるだけの社会からは文化は生まれないのではないかと思ふ。さればこそ、文明社会は産業を興し、経済を重んじるのだと思ふ。道元が生きた時代は京のみやこと言へども無法地帯であった。決して平和な都では無かった。放火、殺人、略奪のはびこる町であった。人は生活の不安のゆえに放銃に走った。財宝があるから人がこれを奪ひ取ろうとする。仏法者は財宝を持ってはならないと道元は言った。さういふ中世の社会的背景と現代は違ふのではないかと言ふ気もするし、また一方で現代の栄華は長い歴史の中ではかりそめの繁栄であり、本質的には道元の時代と共通する何かを隠し持ってゐる気もする。一切の民衆がその欲するままに肉欲を充たし食欲を充たして、しかも争ひなく公平社会が実現できれば、それが理想ではないかと僕は思ってしまふのだが、道元にとってはそんな社会は何の価値もない。欲望の充足は新たな苦悩の原因となるからである。生活不安の根源は人の欲望にある。僕は岩波文庫正法眼蔵の第1巻だけを持ってゐる。この本はむつかしくて、僕の力では読めないのではないかと思ふが、いつかは読んでみたいと思ふ本である。