高浜原発の再起動裁判

火 旧暦 2月26日 先負 庚申 九紫火星 Tiburtius V16 24171日目

高浜原発の高浜3、4号機をめぐって、住民が運転差し止めの仮処分を申請し、それに対して今日、福井地裁は再起動を認めない決定を下した。4年前に福島で、起きるはずのないとされてゐた重大事故が起きてしまひ、多くの住民が避難を余儀なくさせられた事を思へば、原発再稼動に反対する人たちの気持ちはよくわかる。けれども、原発が無くても日本はやって行けると主張する人たちの根拠は薄いと僕は断ぜざるを得ない。原発は嫌だけど電気は欲しい、原発が無くても何とかなるんぢゃないかと安易に走って、それがやがて僕らの文明社会を崩壊させることになるであらう危険度についてあまりにも考察が足りないのではないかと思ふ。チェルノブイリ事故の後で、放射能被害を受けたスウェーデンでは原子力を撤廃しようと言ふ機運がうんと盛り上がり、国民投票までやって2010年までを目標に原子力からの撤退を決めたのであるが、実際には止めることができなかった。今なお、原子炉は稼働してゐる。それ位、原子力に依存しない電力供給は難しいのだと思ふ。福島以降はドイツが同じ様な動きを見せてゐるが果たしてどうなるかなと思ふ。日本で原子炉が稼働しない期間はもう4年にもなる。4年もあれば、原子炉を運転させてゐればその間に優秀な運転員を育てることもできたらうに。休眠期間が長くなればなるほど再起動した時の安全確保は難しくなる。いづれ再起動せねばならないのであれば、少しでも早くそれを実現させる方が原子力の安全度は増すのである。原子力規制委員会と言ふ組織があるのに、住民の仮処分申請と裁判だけで感情的に再稼動を許さないことができるのであれば、何のための規制委員会かなとも思ふ。司法の独立のためには喜ばしいことかもしれないが、願はくはそれが僕たちの文明の消滅を早めるものでありませんように。