釈迦の仏教

月 旧暦 2月25日 友引 己未 八白土星 Artur Douglas V16 24170日目

西行

寂しさに たへたる人のまたもあれな 庵ならべむ 冬の山里

とうたった。よみ人の人恋しさがチラリとのぞかれる反面、現実には決してその様な人は居ないと達観して、ひとり我が道を行く感じが現れたうたである。西行は若い時、北面の武士で、平清盛と同級生であった。言はばエリート青年であったのだが、ある時出家して自由な生き方を選ぶ。しかし、西行の様に世を捨てて孤独な道に進む出家のあり方は、大乗仏教では認められるが、「釈迦の仏教」では許される出家のあり方ではなかった。仏法僧の僧とは、ひとりの僧を表すのではなく、サンガと呼ばれる修行者による生活共同体を指すと佐々木閑先生の本にある(僕は昨日のブログの続きを書いてゐる)。であるから、現代の日本で釈迦が唱へた意味での出家を実行することは非常に難しいと思ふ。同志を集めなければできないからである。たとひ、同志が集まっても、その修行の厳しさゆえに、ついていける人の数は非常に限られると思ふ。無論僕には到底できない。でも出家できなくても救ひはあると言ふ。在家のままで救はれる為には、真の意味で出家した僧を経済的な意味でサポートすれば良いさうである。お布施のもともとの意味はそこにあると言ふ。かうなると現代に生きる僕は、出家でも在家でも「釈迦の仏教」とは距離を置くしかない気がする。そして、昨日、僕が感じた疑問「因果応報は大乗仏教以来のものか」についてはさうかもしれぬと思ふ。何故かと言へば、原因となる事象、結果となる事象をひとつひとつ挙げてみると、病気になりたくないとか、辛い目にあひたくないとか、それは必ずどこかで、人間の願ひや欲望や煩悩につながってゐるからである。真に煩悩を断たうとする人間にとっては、めぐる因果を構成する事象の一つ一つが既に語るに足りぬことかも知れない。「釈迦の仏教」は、一方で惹かれながらも、僕には過激な宗教である。