弘川寺(5月5日に更新)

木 旧暦 2 月 27 日 仏滅 甲戌 五黄土星 Liv V15 25265 日目

4 月 6 日の旅の続き。少し南の弘川寺にも足を伸ばした。西行の終焉の地である。かねてから訪れて見たいと思ってゐた。僕は 38 歳の時に日本の会社を辞めてスウェーデンに渡った。会社を辞めた時は失意のうちにあった。周囲から圧力をかけられて追ひ込まれたといふよりは、仕事の上で自身の気持ちに深い失望があったのだ。弱い自分を認めざるを得なかったのだが、悩みの果てに「会社を辞める自由を与へてください」とお願ひするしかなかった。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた時、自由な心を持ってゐるかどうかが生死を分ける鍵になることがある。丁度その時に、それまで仕事の上でスウェーデンと FAX でやり取りしてゐた相手の会社が、「こちらへ来て一緒に仕事をしないか」と誘ってくれたので、僕はその誘ひに従った。この時、僕は一切を放擲した。後はただ、謹慎の生活を送るつもりでスウェーデンに渡ったのである。それは殆ど出家に近い覚悟であったと思ふ。その時、ふと、西行北面の武士を捨てて出家した時の気持ちを連想した。僕は無論、娘を縁側から蹴落とす様な真似はできなかったし、自分を西行に重ね合はせてみるのもおこがましい限りであるのだが、このことがあってから、新古今を読むときも、定家よりは西行に惹かれる様になった。ひっそりとした春の弘川寺に佇んだ時、少しだけ西行と話ができた様な気がする。境内には歌碑がいくつか見られた。その中から一つだけ引用する。

さびしさにたへたる人のまたもあれないほりならべんふゆの山さと