永平寺

日 旧暦 3月4日 赤口 壬戌 二黒土星 Ingvar Ingvor V14 24522 日目

人は宗教とどの様につきあふべきかは難しい課題だと思ふ。自分の中に宗教観はあるけれども、それは長い年月のうちに試行錯誤を経て次第に育って来たものであり、決して人に勧めたりできるものではない。それで、娘に対しても、小さい時から洗礼を受けさせることをしなかった。親の考へで、ある一つの宗教に導いたり、しむけることをしなかった。悪く言へば放ったらかしだが、良く言へば大きくなってから自分の責任で選び取る自由を与へたかったのである。例へばAといふ宗教は安全でBといふ宗教は危険だといふ事は出来ないと思ふし、先祖代々その家に伝はる宗教をそのまま引き継げばそれが無難であるといふ見方にも同意できない。そもそも「私は何宗の何派を信仰します」と言ふパターン化に自分を合はせることが嫌な気もする。僕の家は仏教の曹洞宗の禅の流れを汲むのであるけれども、娘がまだ小学校に上がる前からスウェーデンに渡ったので、娘はキリスト教を信じる様になるかもしれないと当時は思った。さうなってもそれは仕方がないと思った。けれども、どうも娘は仏教の方に関心がある様である。僕の故郷の町で今日は一緒にお墓参りに行くことになったが、僕と同居人の父方の先祖のお墓参りや母方の先祖のお墓参りにも行きたいと言ふので、僕が小さかった頃に親に連れられて回った町内のお寺にも連れて行ったりした。その後、バスで永平寺へも行ったのであるが、そこには僕の両親が納骨されてゐる関係もあって、観光のうちにも参拝の気持ちも幾分あったかと思ふ。