「最後の将軍」

水 旧暦 1月13日 先勝 甲寅 六白金星 Evelina Evy V7 23744日目

「最後の将軍」は第十五代将軍徳川慶喜の物語である。幕末のあの時期、大奥などで騒がれもしたが、将軍継承問題は徳川家のみならず日本全体にとって、ひときは重大な政治課題であった。桜田門外の変大老井伊直弼が失脚してから慶喜はその運命に翻弄されるやうになる。まさかの将軍職に就くことになったが、僕ら結果を知るものにはその成り行きは歴史の必然であったとしか思はれない。将軍となった慶喜は派手好みで、多芸多才で、あまりの身勝手さに周囲は振り回されてしまふことも多かったらしいが、僕が強く惹かれるのは、大政奉還して、江戸を去った後の将軍の生き方である。昨日まで日本の権力の頂点にあったものが、大政奉還を境に、きっぱりとそれまでの生き方に決別し、ひたすら蟄居し、謹慎して静かに生きて行く。その変身の鮮やかさが胸を打つのだ。十五代にわたって続いた歴代徳川家将軍のうち、実にこの最後の将軍ただひとりに、僕は大いなる共感と尊敬とを禁じ得ない。それはひとへに司馬遼太郎の筆力によるものかもしれないのだが。

話は飛躍するが、僕が長年勤めた日本の会社を辞めてスウェーデンに移ることを決心した時、お手本としたのは、まさにこの将軍慶喜の生き方であった。決してそれは希望や野心に満ちた新天地に向かっての出発ではなく、ひたすら自らに謹慎を課する心境の転向であった。それまでの多くの友達に別れを告げて交際を絶つにも、日本を離れ、言葉も分からぬ見知らぬ土地で静かな暮らしを始めることは都合が良かった。ただ、結果から振り返ると、当初は謹慎を自らに課したつもりの出発であったのに、年を追ふ毎に日本へ足繁く往復する如き活発な生活になってしまった。それはある意味では志と違ふ展開となったが、また別の意味ではうれしい誤算でもあった。結果的には定年までも長く勤めさせていただいて感謝に堪へない。定年を迎へた今、もう一度、慶喜の生き方を自らに照らしてみることは、意義あることと思ってゐる。