アイデンティティーの喪失

水 旧暦 1月28日 仏滅 癸巳 九紫火星 Edvard Edmund V12 24144日目

忙しく働いてゐる間はあまり感じることもないが、暇になると人は、「俺って一体何だらう」と思ったりする。長年忙しく働いて来た人が定年になっていきなり会社を辞めると、その変化に大きな落差を感じる人がゐても不思議はない。「アイデンティティーの喪失」とも言ふべき喪失感を味はふのである。僕の場合は、38歳の時に日本の会社を辞めてスウェーデンに渡った。スウェーデンではすぐに別の会社で職に就くことができたのであるけれども、この時に日本を離れたことで僕は強い「アイデンティティーの喪失」を味はった。僕みたいに全く臆病な人間が、一生勤め上げるつもりだった日本の会社を辞めて外国へ行くなど、周囲の人からは「あの人に限ってそんなことはあり得ない」と思はれたかもしれない。「事実は小説より奇なり」と自分でも思ふ。それで、その時の喪失感は本当に大きかった。自分の立ってゐる場所はもはや安全地帯では無いとも思った。しかし、言葉も出来ないくせに、その後何年も会社勤めを続けられたのは奇跡であった。何か目には見えない大きな力で保護されてゐたとも思ふ。その意味ではやはり安全地帯にゐたのかもしれない。昨年、そのスウェーデンで勤め上げた会社を定年退職した。過去に一度強い「アイデンティティーの喪失」を味はってゐただけに、定年以降は、あまり喪失感の様なものを感じることはなかった。精神的免疫ができてゐたのだと思ふ。38歳の選択は間違ってなかったと時々思ふ。