「殉死」

木 旧暦 1月14日 友引 乙卯 七赤金星 Agne Ove V7 23745日目

僕が影響を受けた司馬遼太郎のもうひとつの短編は「殉死」である。その本には乃木大将は実はいくさが下手であったことが容赦なく書かれてゐる。日露戦争がすんでからは、明治帝のおそば近くにお仕へする日々であったが、崩御の日、たまたま東京から離れた場所にゐて、日本中にその悲報が広まってゐるといふのにそのことを知らずにゐて、駅のホームで一青年に「何かあったのですか」と尋ねる場面がある。あの間の悪さといくさ下手とはどこかでつながってゐる気がする。二〇三高地で来る日も来る日も敵の要塞に向けて突撃命令を下す。さうしてそこにただ累々と夥しい屍を重ねていく。その情景を思ひ浮かべると、本当につらいものがある。途中で投げ出す訳に行かないし、他にやり方はわからないし、、、。

世の中には自分が仕事下手であることを自覚しながら仕事をやめる訳にいかない人も多いと思ふ。実は僕もそのひとりである。仕事をする時はいつも劣等感の中で生きて来た。自分でやると必ず失敗するのでいつも周囲の人に助言を求めた。それで、乃木大将のいくさ下手の苦しみは、何か他人事のお話としては聞けないものがあった。

乃木大将の出生の地は麻布の日ヶ窪あたりとされてゐる。「殉死」が書かれた時代からさらに都市開発が進んだので、その冒頭に書かれてゐる地理の説明とは今は様子が違ってゐる。今で言へば、六本木ヒルズあたりになるのではないかと思ふ。ヒルズができる前までは、あのあたりにスウェーデンセンタービルがあって、仕事で日本へ行くと、よくそこへ足を運んだものだった。スウェーデンセンタービルは僕の好きな建物であったが、再開発の波の中に消えて行ったのは残念な気もする。

乃木大将は大葬の日に静子夫人を伴って自決する。あまりにも劇的な償ひであった。夫人を道連れにするつもりは毛頭なかったが、夫人の決意は固かった。後を追って死ぬならいっそ今死のうといふことになって、静子夫人はわずか15分ほどの間に準備を整えたとされてゐる。その間に詠まれた辞世の句は、ひと月以上前から密かに準備をして来た詩人乃木希典の歌よりも強いものを訴えてゐるやうに僕には思はれる。