「殉死」と「最後の将軍」

月 旧暦 8月27 日 仏滅 丙子 三碧木星 Finn V42 25087 日目

長編小説といふものが苦手である。読み続ける根気がないからである。それで、文学のことをよく知らなくて、いつも恥づかしい気持ちでゐる。短編小説なら少しは読みやすいし、詩歌になればもっと短くて親しみやすい。僕にとっては単純に形式が短いものほどありがたい。司馬遼太郎は多くの長編を書いたが、短編もいくつか書いた。その短編の中でも、特に僕に影響を与へたのは、「殉死」と「最後の将軍」であった。いづれも僕がまだ日本の会社で仕事をしてゐた頃に読んだものである。一人は明治の、一人は江戸の、時代の終焉に深く関はった人の物語である。乃木将軍の、いくさの面では下手であった様子の描写は、当時会社の仕事で悩んでゐた自分の無能ぶりと響きあふところがあって、辛いながらに心に残った。当時はスウェーデンセンターといふビルが六本木の芋洗坂の先にあって、そこは乃木将軍の生誕の地に近かったことにも惹かれた。また、大政奉還を果たした後の徳川慶喜の静かな生き方は、会社を辞めた後の自分の生き方にひとつの指針を与へてもらった気がする。今日の日経の「春秋」に二条城での大政奉還の様子に触れられてゐて、こんなことを思ひ出した。あの年、今の様な秋の季節からから年末にかけて風雲急となり、年が明けると鳥羽伏見の戦ひがおこり、戊辰戦争へと繋がった。さういへば、乃木将軍が静子夫人と殉死したのも秋であった。あれは 9 月で、まだ残暑の残る日であったかしれない。