定年後の葛藤

月 旧暦 5 月 19 日 大安 乙未 五黄土星 Rosa Rosita V27 25345 日目

夏目漱石の小説にはよく高等遊民が登場する。高等遊民とは、高等教育を受けてゐながら職業に就かずに暮らしてゐる人のことである。その主人公たちの目で己の周囲を眺めると、人は皆、食べるためにガムシャラに働いてゐる様に見える。彼らをちょっと哀れむ様な視線になるのだが、その視線をグルリと回転して自分自身に向けてみると、自分は人一倍、憐れむべき存在であることに気づく。これが若い日の僕の感想であった。日本の会社を辞めてスウェーデンに渡った時、働き方の大転換をはかる絶好の機会に恵まれたのだが、それでも僕は、新しい環境で、働くことを生活の手段とする態度を改めることができなかった。「働かざるもの食ふべからず」といふ通念はあまりにも深く小心の身に刷り込まれてゐたのである。ただ、自分の気持ちとしては、職業に誇りを持ってゐたし、これはこれなりに社会のためになることであるといふ使命感もあったから、ただ食べるために働くのではないぞといふ気概もあった。それで、その様な生き方をして来た半生を悔やむ気持ちはさらさらない。それでも、と思ふ。自分は己のうちに知的な認識を全く持たぬ人間ではないかといふ囁きが聞こえるのも確かである。定年後、ブラブラして職業に就かずに生きるのも、それなりに葛藤があるものである。

svelandski.hatenadiary.org