敦賀2号の行方

水 旧暦 4月6日 先負 辛巳 三碧木星 Sofia Sonja V20 23472日目

敦賀2号機の建屋の下には活断層があると断定されて、今日の新聞などを見ていると、敦賀2号はもはや廃炉にするしかないような印象を受ける。あの発電所は本当にそんなに危険なのだろうか。何か見当違いの方向に行き過ぎている、ということはないだろうか。福島であのような大事故が起きて、それは天災というよりも、安全神話を盲目的に信奉したものどもの驕りがもたらした災害であったということはよく分かる。そういう意味では日本の原子力はいくら反省してもし過ぎることはないと思う。けれども、そのことと、これまで稼動していた発電所をしゃにむに閉鎖させることとはまた別だと思う。福島であのような事故を起こしてしまった原因は、一にも二にも、電源が喪失したことであった。非常用電源さえもすべて失った発電所の行く末はこうなるということを、4基ながら同時に見せつけてくれた。だから非常時の電源の確保に更なる工夫を凝らすまでは運転を認めない、というのであれば、話は分かる。そういうことではなくて、あの日以来、世の中のムードが脱原発に向かっていて、国としても原子力規制の強化を、ほら、こんなにしているのですよ、皆さん分かってくださいねと、人々に見せなければ自分たちが危うくなるという薄っぺらな動機から、敦賀2号をスケープゴートにしているだけのような感じを受けるのは僕一人だけだろうか。建屋の下にある、本当はよく分からないものが仮に活断層であったとしても、最悪の場合には、柏崎のようになるかもしれないが福島のようになることはない。技術の粋を集め、長い年月をかけ、巨大な費用をかけて建設された設備を、あまりにもかように無分別に廃炉にしようという動きに、僕はまた別な意味で、人間の驕りを感じてしまうのだ。日本にとって良かろうはずがない。