廃炉の時代

水 旧暦 4月10日 先勝 癸卯 七赤金星 Beda Blenda V22 24215日目

僕がスウェーデンに渡ったのはチェルノブイリ原発事故が起きた翌年のことであった。Studsvik といふ、今では私企業であるが当時はまだ半官半民の雰囲気の濃かった原子力研究機関の職員として採用されたことで僕のスウェーデン生活が始まった。が、仕事を始めて数年の間に所属部門の独立、別会社化、組織変更が相次いだために、Studsvik の職員として仕事をしたのは最初の2年間ほどだけであった。それからは次第に Studsvik との縁も薄らいでいった。この Studsvik には R2 といふ材料照射試験炉があった。僕の仕事ではそれに直接関はることは無かったけれども、この試験炉は日本からの照射試験の依頼もいくつか請け負った経歴がある。スウェーデン原子力のひとつの時代を担って来た試験炉ではあるけれども2005年に運転を停止して、それから早10年が経過した。今は解体に向けた取り組みが進められてゐる。今日の地方紙にはそのことに関する記事が出てゐた。小さな試験炉の解体作業ではあるけれども、将来、他の大型商用炉の廃炉に必要な知見を得るための貴重な体験となるであらうと目されてゐる。日本でも福島をはじめとして、如何に安全に廃炉を進めるかは非常に重要な課題となってゐる。特に福島の場合は原子炉がメルトダウンを起こしたので、その解体作業の大変さは想像に余りある。福島以降も、世界のあちこちに原発の建設が計画されてゐる。またその一方でテロ組織の台頭や紛争地域の拡大など世情は不安定な方向に走ってゐる。如何に安全に原子炉解体技術を確立できるかはひとり日本だけの課題ではない。