全電源喪失の憂ひ

木 旧暦 10月12日 先負 甲申 四緑木星 Emil Emilia V46 23655日目

福島で原子力の事故があってから、安全対策はこれまで以上に厳しいものが求められるやうになった。あれだけの事故を起こした以上それは当然である。日本の原子力設備が再稼働した時に、今後は絶対にあの様な事故が起きないやうにしなければならない。いかなる場合も原子炉に大量の水を送り込み、燃料の露出する事態を避けなければならない。安全対策には二種類ある。ひとつは燃料の露出が起きないやうにするにはどうするかと、もうひとつは起きてしまったらどうするか、といふ対策である。起きてしまった後の対策はあまり意味が無い様に思はれるが、すべての場合を想定しないといけないのだらう。しかし、如何に起きないようにするかの方が起きてしまったらどうするかよりよほど大事であると思ふ。福島の場合には全電源喪失を想定してゐなかったと批判されることもあるが、無理からぬこともある。本当に完璧な全電源喪失が起きれば、中央制御室は真っ暗で、たとひろうそくを持って来ても計器は何も指示せず、原子炉に今どれだけ水があるのかも分からない。まづ状況判断ができないから対策も立てられない。報告も出来ない。恐るべきはまさに全電源喪失であり、如何にそれを防ぐかは最大の課題である。対策として敷地内に電源車を用意したとしても、それをつなぐ先の電気盤や変圧器が水浸しになってしまへばつなぎやうが無いのではないだらうか。たとひ全電源喪失が起きた場合でも、直流電源装置だけは長時間にわたって無事であるやうにしないといけない。さうして直流電源だけで原子炉安全停止が出来なければいけない。このやうに原子炉安全への確証はむつかしい課題を抱えてゐることも事実と思ふ。